庭園文化史と知識の社会史の記録

庭園文化史と知識の社会史に関しての考察を綴ります。

現実が記憶に変わる前に

 今,目の前にある現実が失われる前に何かできることはないだろうか。僕はそう考えずにはいられなかった。現実が記憶へと変わり,その記憶をしみったれた感傷と共に想起するのはもうたくさんだと思ったからだ。若いころはそれでもよかった。青年ほどとかく身体に蓄積された記憶を想起せずにはいられない動物はいない。「ひたすら未知のものを追求しながら,慣れしたしんだものにも離れることのできない青年の憧憬と不安」[1]とカロッサは小説『美しき惑いの年』に書いているけれど,本当にそうだと僕は思う。

 僕がそう言うと,周りの人間はこう言う。ノスタルジックな感傷にふけるのはむしろ年を取った証拠なのではないか,と。確かにそうだ。ほとんどの場合,ノスタルジーにふけっているのは中高年だ。一昔前,「キープオン」という言葉が流行ったけれど,それもノスタルジーの一種だ。

 けれども,それとは別種の記憶の想起が若いころにはあると思う。それは,若いからこそ起こるのだ。若さゆえに記憶のサイクルが短いわけだから,一個一個の記憶が中高年に比べ鮮明でかつ離れがたい。ゆえに,若者の記憶は時に痛みをも伴う。けれども,その痛みにあえて向き合う強さも,実は若者は兼ね備えているのだ。中高年のノスタルジーは,「ノスタルジー」というくらいだから,基本的は甘美なものだけれど,若者はあえて痛みの記憶に立ち向かう。痛みの記憶か,はたまた記憶の痛みというべきか。僕にはわからない。

 だが,僕は決して,若者賛美をしたいわけではないのだ。確かに若者は痛みの記憶に向き合うけれど,ともすればそれは自己陶酔に走るおそれがある。痛みが自らを構成する血肉となる分にはいいが,それが青臭い自己陶酔の営みに堕すれば本末転倒だ。それでは,ブリキのアトム人形を愛撫する大人たちと大して変わらないではないか。

 痛みに向き合いつつ,痛む自分に陶酔しない,そんな生き方ができないものだろうか。その問いに対する僕なりの答え,それは,現実が記憶に変わる前に現実そのものを救い出すことだった。僕にもわかっている。それが極端な考えだということを。記憶を想起するうえで避けられない自己陶酔から自分を遠ざけるために,現実を記憶化しないようにするわけだから。現実が記憶になるから記憶を想起するうえでの弊害が生まれる。であれば,いっそのこと,現実が記憶にならないようにすればいいのだと僕は得意の蛮勇をふるおうとする。そして,僕は呼びかけるのだ。

 

「若者よ,記憶の檻から出でよ!」と。

 そうすればわかるはずだ。記憶の檻は実は飴細工でできていたということを。

 

[1] カロッサ『美しき惑いの年』p11