庭園文化史と知識の社会史の記録

庭園文化史と知識の社会史に関しての考察を綴ります。

書くということ

   良質な日本語を書くための最大のトレーニングは,やはり実際に日本語を書くことしかないのだろう。そう思って,この文章を作成している。文章は日々書き続けなければ上達しない。かといって,論文をそんなに毎日書けるかというとそれは難しい。まず,書く材料がなければならず,またそれは分析済みでなければならない。論文執筆のマニュアルには,「毎日書け」と書いてあるのだが,それでも,書けてせいぜい1節。これでは,文章の練習になるまい。そこで,論文以外の文章を日々綴っていくことにした。それは,小説かもしれないし,随想かもしれない。ともかく,書くことで国語力の維持・向上を目指そう,というわけである。今は,ブログという個人にとって最大の媒体がある。これを享受しないわけにはいかない。はてなブログを(極力)毎日更新したい。

    思えば,子どもの頃から書くことが好きだった。小学校2年生まではそうでもなかったのだが,3年生の夏休みに書いた読書感想文が,「全国才能開発コンテスト」なる賞の佳作に選ばれたことがきっかけで,書くことが好きになった。それでも,あの頃は今よりも書くことへの意識が希薄だったから,そんなに多くの作文コンクールに応募したわけではない。あの頃,作文コンクールにもっと応募していれば,「作文コンクール荒らし」として少しは名も知れた存在になっていたかもしれないし,今の文章力もこんなものではなかったであろう。後悔の念に堪えない。

    それならば,今書けばよいのだ。今からでも遅くない。そう思い,私はパソコンの画面に向かっている。